礼儀用語

病気や災難 = つつがと言う。 元気でいることを、つつがなく過ごすと言う

頂き物をその場で出す場合は、おもたせですいませんがと言う。

ご自愛ください → くれぐれも御身おだいじに。

誘いを断る場合 → 不調法なもので

気にしないで下さい。→ ご放念下さい。

作法 

遠慮 わきまえる。  目上の者に誘われた場合 一度か二度は不調法ですのでと断り、それでもという場合に共をしましょう。初めから誘いを鵜呑みにして二つ返事で共をするのは礼儀を欠いている。また馳走になりっぱなしではいけない。

礼節

ここに最低限の礼節について述べておく、有段者は大まか出来ているといえるが、新門弟に指導者としては非常に言いにくい事柄もあるためにおろそかになり、現代の礼節のような乱れを作る要因となる。従って、ここに宗家指導として申しおく。

礼節は日本人にとって一番大切なものであり文化である。武道を行う者は勿論のほか古の文化を伝承する者はまず礼儀を欠いては伝承者とは言えない。現代武道を行う者には礼儀を欠く言動が多々見られる昨今、いくら技を磨いても礼節に欠けるものは美しくなく、往々にして大した技者はいない、従って、より高い次元に発展成長していくという進歩も見られない。

川中島で武田信玄が初めて上杉軍を見たときに「美しい兵である。この兵は強い」といったとされている。礼節の確かな集団は統制や規律のある集団で美しく強い。反対に統制のない集団は何かと内輪もめが多く烏合の衆団となって滅びているのは歴史からも学べる。
第二次世界大戦で敗戦国となった日本でも、天皇陛下のもと統制のとれている日本人をアメリカは勝利してもなを恐れていた。そこで将来の日本人を自由という名を利用して堕落させる方法を考え4つのSを仕掛けた。4つのSとは、SPORTS(競技)・SOUND(音楽)・SCREEN(映画)・SEXである。若者はこれらに夢中になり、代を進めるごとに堕落し、家族も大切にしない、上下関係も無視し、現代では何かと言えばハラスメント、男女の区別と差別さえ分からず、恥じらいもなく簡単に貞操さえも捨てる。これが現代社会である。ようやく日本は敗戦国になったとアメリカは喜んでいる事でしょう。

このまま日本はどうなっていくのか・・・・・

多くの人は見てるだけの人、言うだけの人、他人任せの人、これが今の日本人です。

戦後に仕掛けられた4つのSの悪い波ではなく、未来に向けて自由でも美しい波を起こさなければならない時代に来ている。光華院流はそのような時代に、小さくても良い正しい波をお越し未来の日本を美しい形にしていく礎になる。


善悪の判断も出来ない馬鹿者(智)は信用できない者(信)で道徳観念(礼)に欠けている。この智信礼を無くし仁義に生きるものをやくざという。最近ではやくざも一流の大学を出た賢い者が増えているが、この時代に智信礼どころか仁も失い、下の者の義だけを求める馬鹿な武道家が多い。私達武道家は正しく現代社会の模範になるように努めなければならない、我が門弟はその事を入門前から覚悟される事を申しおく。


礼儀指導において、指導者は自分を偉く思わせる為ではなく、門弟が他で恥をかかないように愛情をもって礼儀指導をしていく事。従って、指導者は自分対しては略礼でいいなどと言ってはならない。そのような指導を受けた門弟が他流に行き恥をかいた場合の責は大きい。さらに当流派にかけた責は時代が時代なれば白扇(切腹)を受けるに等しい。礼儀の基本は何も難しいことではない。優しさであり、思いやりである。常に相手の立場に立って考え行動すればわかる事である。

仁義智信礼とは

 

仁とはここでは指導者としての礼儀と理解する。門弟に対する思いやり、いつくしみをいう。上に立つものが下の者の将来や技の上達を常に心掛けて指導する礼節と考えるのが分かりやすい。言いにくいから言わないのは優しさではない。何事もはっきりと指導する。礼がなければその場で注意し、努力する者には早期昇段をもって答えてやるなど、それなりの力になる。具体例の一つに、師弟礼の場合は全員の礼が揃うまでやり直すくらいでよい。これが基本である。気が付いたところはどんどん指導し、技の上達の手助けを行う。また、いわれのない金品は受け取ってはならない。常に隙のない姿勢が必要である。

義とはここでは下の者が上の者に対して行儀作法に従って進退する礼法を言う。ここの礼法は新人から先輩剣士にあたるま   で余りにもおおい。稽古において徐々に学ばなければならない。まずいくつかの例を記載する。

  1. 指導者・先輩の上座に立ってはならない。礼は全て直前の先輩に合わせる事。先輩諸氏の上座を通る場合は、後ろを失礼します。前を失礼します。と断りを入れる。
  2. 指導は直前の先輩を超えて願い出てはいけない。指導者より呼ばれた場合でも、先輩に一言「先を失礼します」と声をかけてからでる。
  3. 宗家・師範より指導を受ける場合は、必ず左右どちらかの片膝をつく、師範代や先輩の場合は稽古時間上その限りではないが、気持ちの上では片膝をつく。
  4. 稽古に及んでは、礼法ばかり考え技が伸び悩むことも考えられる為に、溜口以外の丁寧語を使う程度で物事を判断する。
  5. 稽古場の準備・掃除は、指導者以外全員で行うが新人は進んで行う。指導者より後に入場するのは失礼と考える事。いたしかたない場合は前もって同僚に伝えておく事。自分の遅刻を指導者に連絡し手間をかけるのは失礼である。

智とは賢いこと、物事を理解し是非・善悪を弁別する事をいい。一言われて二・三と勧められるのが一番だが、そのような者はまれにしかいない。指導者から言われた事はあなた自身にとっての技の上達法であり、素直な気持ちで取り組む。変化を与えた時点であなた自身の物ではなくなり上達は遅れる。また世の中に多くある資料などを学んでも上達を妨げるだけである。言われたことを次回の稽古までに仕上げるのが上達法である。

信とは言をたがえない事、思い込み疑わない事を言うが、これほど難しいものはない。動物の中でなぜ人間だけが言葉を話すのであるか?これは動物が牙や爪や羽を持つように身を守るための武器である。自分自身を守る為に人は嘘をつく。嘘をつかないという人が嘘つきである。門弟同士は裏切らず大切にすることが信と考える事。互いの信頼を確認するために、武士が守らなければ切腹という約束事がある。それが金打(きんちょう)である。刀を一寸ほど抜いてカチンという音を立て納める。小柄や笄(こうがい)のような金属であれば刀でなくてもいい。

礼とは社会の秩序を保つための最も重要な道徳観念を言うが、ここが勘違いされやすく、指導者としては言いにくい部分である。簡単に言えば人にお世話になれば必ず礼をするという事である、例えば、結婚式や葬儀でも出席者には何らかのお返しの作法がある。相手に心を込めた気持ちを品に置き換えて礼を尽くします。(頂いた物品の2割から割はお返しをするというのが常識。)人からもらいっぱなし、世話になりっぱなしでは礼を欠いている。ひどい者には礼状や賀状は勿論メールさえ出さない者もいる。
これらは問題外でいつの日か嫌われても、まず好かれることはない。
人は誰も教えてくれないから始末が悪い、親に教わるものであるが親がしらなきゃ自分で学ぶしかない。このような者は人生で多くの損をしても得をすることはない。
若い人に教えておこう。彼女とドライブして、自販のジュースを車中で飲んだとしよう。その帰り際に彼女が飲んだ後のゴミを、両方持ち帰れば礼儀を知った親のもとで育ったと思われる。そうでない彼女ならば子供の躾、仕事上の付き合いやホローはできないでしょうから君は終わる。お世話になったらありがとうの気持ちを早くキチンと伝える。また、仕事でお世話になっているから、中元や歳暮を贈る心の風習を、損得勘定で出世や何らかの得を得ようとする馬鹿者がいるから礼儀を乱す。
ここでは心を教えています金品を送れというのではありません。誤解している者もいるようで、例えば門弟一人一人が指導者に歳暮を贈れば、送られた指導者は返礼に追われて大きな出費となる。これが迷惑と判断できないようではまだまだである。相手の心に通じることを考えよ!


常識程度の礼儀

 何よりも身だしなみは基本である。身だしなみが出来ていないで礼儀を語るな。道着・袴の着用や武道正座が正しく出来ていない者がいくら指導しても、馬鹿にされて人の耳には届かないであろう。さらに、日本には控えるという礼法や心を届ける礼法など、数々の相手の心を思いやる仁の礼法がある。先生同士が酒席にいく場合に同席し馳走になるという場合もあるが、本来自ら遠慮するものである。一度は断り、二度三度と勧められてからお供するのが礼儀。勿論、上座に座ったり、話の腰を折ったりしてはならない。師匠でも他の道場の門弟に酒を注いでやる場合には、その門弟の師匠に飲ませてもいいか尋ねてから酌をするものである。心の礼法としては、結婚式や葬儀において出席者には昔から何らかのお返しの作法がある。これは「忙しいのによく来てくださいました」の気持ちを品に置き換え心を込めて相手に礼を尽くすものです。礼儀を知らずにいれば人生で、仲間に嫌われ、上司に疎んじられるなど多くの損をする。

お世話になったら「ありがとう」の気持ちをメールでもいい翌日にはキチンと伝える。遅いのも意味がなく無駄である。

日頃お世話になっている人へ、中元や歳暮を贈る心遣いの習慣は大切である。賄賂と指導心付けを間違え騒ぎとなった、赤穂浪士の討ち入りは、そもそも赤穂の殿様に問題がある。物を教えてもらうのに授業料も払わず、逆恨みをし多くの家臣や世間を騒がせた。しかしながら昔から私利私欲で何らかの得を得ようと考えるる馬鹿者がいるから礼儀を乱す。働いて給与をもらう、当たり前かな?働く場所がある事に感謝し、働いてもらえることに感謝しなけらばならない。このような双方の心の持ち方が日本文化であり、働いたから当然という考え方が異国文化である。再度言うが指導者に中元歳暮をしなさいというのではないので勘違いしないようにお願いする。礼儀の中では物を送るというのは一番難しい部分で受け取る人が迷惑する場合もあるからです。一つ例えれば、昨日ご馳走になったとすれば、当然店を出たときには「ごちそうさまでした」翌日メールでも一言お礼を言っておく、次回あったなら水の一本も買っていき「先日はありがとうございました。楽しかったですとか参考になりました」と言えば、。品物は水だけなのに心が通い合う。これが心の礼儀というものです。

このように常に相手の気持ちで物事を考える。これは武道に欠かせない重要な事でもある。相手がどう出るか何を考えてるかを見透かさなければ、その敵を倒すことなどできない。この考え方は家族への思いやり・仕事場での人間関係・会社での出世等の全てにつながっていく。従って、武道の大切さがご理解いただけよう。


簡単な心使い

 常に控えめな態度が無難である。出る杭は打たれるという例えもあるくらいです。中には出過ぎた杭は打ちにくいとも言いますが嫌われる。

お世話になる人と待ち合わせをする場合は、必ず先について待ち、来られたら座っている場合は立って迎える。部屋や座席の上座なども考えておく。(義を欠いてはならない)

何事においてもお世話になりっぱなしというものは、失礼も無礼も通り過ぎ誰も相手にされない事になるが、反対に、やりすぎもめんどくさい奴となるので注する事。(礼を欠いてはならない)。

武道を行うものは教えを乞うものであり、あなたが嫌いなものに苦労して会得したものを教えられるでしょうか、無理な事です。光華院流に月謝がないのは、そういった社会的な礼法を学ぶ為でもある。人は気に入ったものに対しては目をかけたくなる。これがその人のチャンスである。にもかかわらず礼儀を欠くことで嫌われると、同時にチャンスも失うことになる。出世しないでぼやく前に一度振り返って、そうゆう事はなかったか考えてみるのも必要です。特に控える礼法は難しい。まだまだ多くの礼儀作法が武道にはありますが、全てを覚えれば固くなる。従って、最低限度は身に着けるように心がけてください。詳しいことや新しく変わったことは、その都度お知らせますので参考にしてください。

分かっているようで出来ていない。思った事はすぐにやる。嫌われて損をするよりも、好かれて得を取るほうがいい。

武道の簡単な礼儀

 

身だしなみの乱れは心の乱れという。

着衣はしわの少ないよう常に心掛ける。上着は白の剣道着又は空手着、袴は紺(三段以上が黒)でくるぶし丈 五段から半着(稽古を除く)着用

正座は袴の下は着物であると考えれば分かりやすい。まず足の親指を重ねて着物で座ってみる事である。

礼の角度は立合い居合にかかわらず 会釈は15度  人に対する礼は45度  神仏に対する礼は90度  
それ以外の中途半端な礼はしないほうがましである。

 

道場入場の礼法

 

正中線の 左側が下座 右側は上座  正中線に遠い足から入る。

まず道場の入り口を、神社の鳥居と考えれば簡単である。下座が左であるから左端の前で会釈礼を行い左足から入る。これは正中線に近い方が上座であるから左足で入るが、人の混雑や右ドアーが開いていた場合は、右端から正中線に遠い右足で入らなければならない。

正中線は神様の通り道というがそれは誤りである。正中線を通る人は昔から天皇陛下・将軍・殿様などの偉い人の通り道で上様がかみさまと伝えられたとされている。神様は天より降臨され、そして昇られるので、鳥居を入って歩かれることはないのです。また 私達は参拝するのは拝殿です。その後ろに神殿や御神体である山などがあります。御神体、神が宿る山。それは拝殿の後ろにあるんです。

 

道場内の礼法

 

左側が下座 右側は上座 を常に考え、左側に進んで着座する右側には指導者や客人が座るのが基本である。但し、道場の作りによってはこの限りではない。常に下座に回ることを心掛ける事。また、自分より上位の門弟の上座に座るのは厳禁である。座る場合は太刀は右に置き、神座の礼(礼は90度)師弟礼(礼は45度)この時、指導者は門弟の礼が全てきちんと揃ったかどうかを確認後、礼に及ぶ礼節の稽古を怠ってはならない。

道場内の演武での足運びは立ち止まる場合やそろえる場合は右足を引いて揃え、左半足を引いて着座する。着座の際の袴払いは着物を着て着座するように、両手もしくは片手で膝の後ろの袴を折って、かかとが出るようにして着座する。立ち上がる場合や演武の基本始足は基本は右足である。技によってはその限りではない。

その他にも、立ったままで指導者の指導を受けるのも厳禁、少なくても片膝をつく事が必要です。

指導者の技を勝手に稽古したり許しなく演武するのは礼を欠く行為で、あなたの技は私でもできると言っているのと同じで嫌われる元となる。先に了承を得て行う事。

 

武道はこれ以外にも多くの礼法があるが稽古を積んで学んでいく事になります。


追記として 道場の神座には下の三つあります。

  

王座が設置され神座はないのは皇宮道場のみ

香取大明神

天照大神

鹿島大明神

香取大明神

八幡大菩薩

鹿島大明神